私たち「 花まるリフォーム」にもささやかな創業物語があります。
自慢できるようなストーリーではありませんが、興味がある方はちょっと覗いてみて下さい。
かなり変わった職人集団の出来るまでが、分かるかも知れません…。
第一章 日大芸術学部を夢見て
◆◇ アニメに目覚める少年時代 ◇◆
私は、昭和41年8月31日に、東京都世田谷区の梅ヶ丘で塗装屋の長男として産声を上げました。
子供の頃は高度成長時代だった事もあり、父は一人で、日曜も祝日も無く働き詰めの毎日を送っていました。
私は、ごくフツーの悪ガキ仲間(?)と遊んでいた少年時代でしたが、小学4年生頃から「宇宙戦艦ヤマト」に夢中になり「マンガ」と「アニメ」にだんだん興味を持ち始めましました。(ちなみに、次男の名前は…大和といいます)
この頃からモノ作りにはこだわっていたようで、図工の授業だけには妙に凝ったモノを作っていたのを思い出します。(成績は、図工だけ5で後は3ばかり…)
小学校低学年の頃から、国士館大学の教室の塗り替え工事などで、よく現場について行った記憶があります。
子供を連れて行ったりして、当時はなんだかのんびりした雰囲気だったのですね。
(何をしていたかと言えば、黒板にヤマトの絵を描いていた記憶しかありませんが…)
◆◇ アルバイトに目覚める中学生時代 ◇◆
中学生になると、GWや夏休みを利用して仕事の手伝いに行きました。
(もちろんアルバイト代欲しさに、です)
今考えると無謀な気もしますが、すでにその頃ハケを持たされて塗っていた覚えがあります。
今でも覚えているのは、ビルの配水管の塗装の現場です。
10センチ位の太さの水道管を何百メートルも塗っていくのですが、毎日、毎日、真夏のビルの屋上の熱さにさらされ、汗だくになりながら働きました。
途中で手首が痛くなり、幾日かダウンしたような記憶もあります。
貯めたお金で、その当時流行していた一眼レフカメラを買えた時は嬉しかった。
その後も、望遠レンズや色々なパーツを買うために、バイトには休みの度に行っていました。
◆◇ アニメ制作に没頭した高校生時代 ◇◆
高校は、明大前にある日大鶴ケ丘高校に入学。
アニメの道も「プロ」を視野に入れるようになりました。
美術部で、マンガやアニメの仲間を作り、学園祭では何千枚もの絵を描き、自主アニメーション映画を作るようになっていました。
(花まるリフォームのイラストを描いてくれている太田君とはこの時からの付き合いです)
学園祭が近くなると毎年実家で合宿が行われ、昼夜問わずの作画・色塗り・撮影が行われます。
2階の6畳の私の部屋に5~6人で作業をするので、「誰かが階段の前で寝ていた」とか「2階の床が抜けるか心配だった」と後で親に言われました(笑)。
完成したアニメは結構評判が良く、才能ある?と、錯覚を持ったまま、念願の日大芸術学部映画学科・アニメコースへ進学が決定しました。
(実は、小学生の時に「日大芸術学部」にはアニメを教えているゼミがあると知り、その時からずっとこの大学に入るのが夢で日大の付属高校に行ったのです)
◆◇ 奇跡の生還!? ◇◆
高校生にもなれば、体力もそれなりに付き、アルバイトの作業も結構シビアになってきます。
それで、1度足場から落っこちた事がありました。
2階の軒先を塗っている時に、足場の高さが丁度良い具合にならず、足場にしゃがんで下から覗き込むような恰好で作業をしていたのです。
フラーっとバランスを崩し、そのまま下に…。
気がつくと、隣とのブロック塀の真ん中にドスンとまたがるように落ちていました。
実際に落ちたのは2m程度。
幸い、お尻が少々痛かった程度で何事も無かったのですが、しばらく震えで立てませんでした。
この時の失敗談(足場で下から覗き込むような作業は厳禁)は、今でも全ての職人さんに厳しく教え込んでいます。
◆◇ 夢と現実の狭間で…日大芸術学部・映画学科時代 ◇◆
大学生活ではさすがにみんな才能があり、すでに声優として活躍中だった同級生(今は「サザエさん」のカツオ君の声をやっています。)もいました。
さらに、同じ漫画研究会の先輩が「名探偵コナン」の著者青山剛昌さんで、私や妻が実名で作品中に出演しています。(私は犯人役でした…「名探偵コナン」第5巻に出演しています)。
また「となりのトトロ」のスタジオジブリに入社した人や、同級生の仲間は全員プロの漫画家になってしまったりで…とにかく、私以外は本当にすごい仲間ばかりだったのです。
高校生の時とは違い、さらにスケールアップしたアニメ映画製作を続ける中で、次の目標が立てられずにいる自分がいました。
小学生の頃からの夢だった「日芸入学」を果たしてしまい、では次にどうするか?です。
アニメのプロになって生きていけるのか?
その実感がわかず、逆に「ペンキ屋の跡継ぎ」という十字架が重くのしかかっているようでした。
◆◇ 夢を置き去りにして… ◇◆
さらに2年生の春、1年遅れてマンガのサークルに入って来た妻と出会い、就職の事を本気で考えなければならなくなりました。
アニメの仕事での給料の安さは並外れているので、並みの結婚生活は出来そうにありません。
また、周囲を見渡した時の、自分の才能の限界も痛感していました。
結局私は、大学4年生の春(卒業予定単位が取れているにも関わらず)大学を中退し「夢」を置き去りにして、塗装の世界に入りました。
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